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趣味を大切にしたい。

モテない男は自分に自信がない~圧倒的な自信を獲得する為の方法論~ 信じるものがあれば人は絶対に幸福になれる~宗教に頼らない幸福論~ 優しすぎる人間は他人に支配され、搾取される~自分と他者の能力を正しく評価する為の批判的思考~

 

 

 優しすぎると不幸になります。だから人に厳しく当たれということではなく、自分の気持ちが弱くなってどうしようもなくなった時だけ、人に意地悪に当たってください。他人に優しすぎる人は無条件で他人をリスペクトします。しかし、実際の所、リスペクトする価値のある人はそんなにいません。自分の能力の方が高いということも結構あります。それなのに自分より能力が劣った人を持ち上げてリスペクトして、その人間に降伏するのはどうなのでしょう。間違ってるとは思いませんか。それは奴隷根性です。僕は今まで優しすぎたので自分より能力が劣る人に人生の道を譲ったりしてしまっていました。ちゃんと自分の中で人の好き嫌いや、この人はここが僕より劣っているという認識を持たないと自分の能力が相対的に把握できませんし、また『この人には負けるわけがない』というタイプの動機から発生する努力も一切できなくなります。高校の時、僕は頭が良かったので高校二年まで偏差値60だったのですが、勉強は嫌いだったので全然やっていませんでした。クラスメートに声が大きい生意気なバカがいたのですが、彼は勉強を頑張っていました。高飛車な発言をする彼に高校三年で初めて偏差値を抜かれてしまいました。高校二年までは勉強していない僕がぼろ勝ちだったのに。彼は僕より学習能力が劣っているわけですが、努力で僕に勝ったのです。僕は素直に彼をリスペクトしてしまいましたが、僕にその時意地悪な気持ちが少しあったらどうだったのでしょうか。『僕より能力的に劣る人間に負けるわけがない。同じ努力をしたら僕の方が成長の伸びしろが大きい』と考えることができていたならば、僕はそこで負けじと諦めず努力を続けていられたかもしれない。意地悪な気持ちというのは自分の、能力を正当に評価できる契機でもあります。優しすぎるが故に、自分より能力的に劣る人間をリスペクトしてしまったが故に、僕は『彼は僕より凄いんだなぁ』と諦めてしまったのです。つまり、この一件から分かるように『優しさのせいで正しい自己分析ができなくなる』のです。優しさは正しい自己分析を邪魔する。何故なら自分より能力的に劣る人間を自分より上に持ち上げて考えてしまうからだ。少し意地悪な気持ちを持って生きていると、『あの人のこれは違うだろ』『もっとこうするべきだ』『こうしたほうがいい』『僕の方が上手くできる』という正しい把握の仕方ができるようになります。素直に世の中を見ることができるようになるのです。意地悪な目線は批判的思考を可能にします。批判的思考は自分と周りの人間の能力を正しく判断し、今何をするのが適切なのかという認知の助けになります。優しすぎる人間は誰でもリスペクトしますから、誤った人物をリーダーに押し上げたり、自分がやった方が良いことを他人に押し付けてしまったり、自分より劣る人間を自分より上の人間だと勘違いしてしまうようにります。そうなると自分より劣った人間に自分の金と女と幸福を明け渡すことになってしまいます。そんなの悔しいでしょう。そうならない為にも『意地悪な目線』『馬鹿にする目線』は絶対に必要不可欠です。しかし常にこれを考えていては周りに友達がいなくなりますし、自分以外の全員が敵になってしまいますので、これらの目線は自分が神経衰弱に陥った時にだけ能力を発揮させましょう。何故神経衰弱になるのか。何故イライラするのか。してしまうのか。人がイライラする時は必ず『自分にとって面白くないことが起こっている』からです。優しすぎる人間は人類を平等に愛しますからイライラするのも自分のせいだと考えてドツボに嵌まり、鬱病になり自分の人生、金、女、幸福を他人に奪取されることになってしまいます。意地悪な目線を持っていれば自分が今イライラしている理由も分かります。批判的思考。例えば『大声出して周りにアピールしてるキョロ充がいるな』とか『運動神経が悪い癖に、イキッてるキョロ充がいるな』とか分かります。分かればそれなりの対処ができます。体育の時間であれば、1対1を申し込んでボコボコにすればいいわけですし、大声出してるキョロ充にむかついたなら集団でそいつの真似をして馬鹿にしてみたりと、ストレス発散はいくらでもできます。大体人がイライラする時は正当な感情でイライラしています。弱いものイジメをしているわけではなく、確かに調子にのっている人間を粛正するわけですから、それでストレス発散しても悪いことではないでしょう。そもそも相手が自分をイライラさせるようなことをしなければいいわけですから。またイライラしない場合はちゃんと自分と相手の関係を把握できているわけですから、それはそのままでいいのです。ラグビー部の人たちが大騒ぎしてても僕は全くイライラしません。だって生物的に絶対彼らの方が僕より強いもん。別に彼らは調子にのってないもん。僕がムカつくのは陰キャだった癖に大学デビューして大声で甲高い声で大騒ぎしてるブス金髪野郎共に対してなんですよ。運動神経悪くて陰キャだったくせに、つまり僕より生物的に劣る癖に、僕より弱い癖に粋がってるのがムカつくんですよ。僕は小中高ずっとリレーの選手でバスケ部部長でしたから運動神経には自信があるもので。だからね、バスケをずっと続けていれば良かったのに続けなかったのも僕が優しすぎたからなんですよ。こんなに僕だけ幸せでいいんかなって。謙遜して『彼らの方が運動神経いいよ』って。でも全然そんなことはない。僕の方が運動神経は良い。謙遜を続けている内に奴隷根性が染み付いて僕はいつからか他人に降伏して、他人に僕の人生を明け渡してしまった。大学受験も同じだ。優しすぎて失敗した。正当な自分の評価ができなくなっていた。優しいと自分と周りの人間の能力を正しく評価できなくなる。それで自分より劣る人間に道を譲ってしまったりするのだ。21年。僕は途中からこれで失敗し続けてきた。これからは失敗しない。正しい評価を。上下関係はあって当たり前だ。動物にもあるだろう。自然なことだ。そんな当たり前のことなのに。僕は上下関係はあってはならないことだと考え続けてきた。人をバカにしてはいけないと。人を見下してはいけないと。だけど、確かに人の能力には差があって上も下もある。何故自分より下の人間に自分が負けなくてはならない?僕は今まで下の人間に道を譲ってきた。優しすぎたからだ。正当な評価ができてきなかった。自分の価値が分かっていなかった。自分の相対的価値が。僕はイケメンなのに何であんな雰囲気イケメンのブスに今まで道を譲っていたのか。それは僕が今まで優しすぎていて、それ故に弱かったからだ。もう負けない。6年間、僕は下の人間に金も、学歴も女も人生も明け渡してきたが、もうそれも止めだ。もう正当な評価をしよう。僕は大多数の人間より優れている。だから容赦なく下の者から全てを奪い去り、支配しよう。きっとそれが自然なことなんだ。人間も動物だから。もう譲る必要はない。もう譲るのはやめだ。大分失った今気付くなんて。まだ巻き返せるかなぁ。もう殆ど強気な他人に明け渡しちゃったよ。でもこの悔しさをバネにして世の中の正当な評価をしていくことをここに誓う。

 

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